『 日々是好日 』

ありのままを 前向きに ------ Miyaki K.
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コロナで得たもの

「緊急事態宣言」が解除されたとはいえ、「スポーツ・ジム」の再開はまだ先になりそうだ。
運動不足の解消に「散歩」は相変わらず続けているが、気温が上がるこの時期、マスクをしての運動は、少々息苦しく熱中症のリスクもある。歩くコースは出来るだけ変えるようにしているが、きょうは駅周辺を回り、生前、母が入居していた介護施設の近くを通る。思えば、スポーツ・ジムで運動した後、よくこの施設を訪ねては、母の話し相手をしたものだ。施設のすぐ近くに「枝垂れ桜」の樹があって、母が亡くなる直前だったが、満開の桜を見せようとして、車椅子の母を連れ出したことを思い出した。

『2017 墓碑銘』 に、こんなことを書いている。〜 母の晩年、クルマ椅子の生活で、運動不足や部屋に閉じこもりがちになることを憂えて、外に出ることやリハビリを勧めたものだ。しかし母は、自分の思い通りにならない体力と、その姿を外に晒すことを嫌い、拒否することも多かった。「病いは気から」などと健常者は軽く言ってしまうが、当人には判っていても、それでも尚、安らかに過ごしたかった母にとっては、それは辛い言葉ではなかったかと。今にして、その気持ちを察することなく、外出を強いた自分に、いささかの悔いを感じないわけではない。〜
枝垂れ桜の下を歩いて、あの時の母の写真を取り出して見る。
母の表情はちょっと判りにくいが、それでも、あと何度見られるか判らない満開の桜に、ささやかな「安らぎ」を感じていたのではないか・・(と信じたい)
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(きょう散歩した同じ桜の樹の下)

同じく、Stay Home で家のかたずけをして、父母の晩年の写真を見つけた。仕事から解放されて、会社の慰安旅行か何かの一枚だと思われる。勤め先の会社の旅行で、二人は結構、日本各地を回っていたように思う。二人とも、満ち足りた「いい顔」をしている。もう一枚は、私がフランスに駐在した頃、二人がジャル・パックでルーブル美術館を訪れた時のものだ。海外旅行は、後にも先にもこれだけであったが、二人手を携えて・・その時の「空気」が伝わって来るようだ。
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  (左の二人が父母)
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若い頃は、私を育てるのに二人とも苦労したと思うのだが、最後は、多少「贔屓目」だとしても、「まぁまぁ」幸せな一生を送ったのではないか・・(と信じたい)

“これまで” ではなく、「“これから” が、人生を決める」という言葉がある。人生は「山あり谷あり」人それぞれだが、結局のところ、どのような最期を迎えるか? ではないか。栄華を極めて、順風満帆だった人でも、最後は誰にも見守られず孤独死する人もいる。一方で、苦労の連続だったとしても、最後に、ささやかな幸せを見つけて、「これまで生きて来てよかった」と思う人もいる。どちらが幸福なのか。残りの人生の生き方(考え方)次第で、これまでの人生の意味が変わってくる。そういうことではないか。 コロナで得たもの。残りの人生を大事に生きたい。最後は、「まぁまぁ幸せな人生」だったと思えるように。

小学校も、6月の再開に向けて、きょうは“慣らし”の登校だという。孫たちも、「密」にならないように間を空けて、しかし、元気に登校している。このまま学校生活が始まってくれればいいのだが。10年後、このコロナの思い出を、「アビガン小僧」はどう記憶しているのだろう。私も元気で居ればの話だが、10年後の彼らに、それを聞いてみたい気がする。「自粛」という言葉も覚えているだろうか。
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ほんとの安心

「緊急事態宣言」が全国レベルで解除された。
安倍さんの正式な発表ということだが、事前に明らかになっていたことで、多少の不安を残しながらも、政治的(或いは経済的)判断を優先した解除であった。
安倍さんの言葉は、「国民の皆様」と、まずは国民を讃えて慇懃(いんぎん)だが、あとは「日本モデル」と称し、自分たちのやり方が「うまくいった」というPRである。一方で、今回の決定に関しては、強制や罰則もない「自粛要請」で、どうして感染が広がらなかったのか、海外メディアは、「不可解な謎」として驚きと共に伝えている。
あれほど中国からの観光客を受け入れながら、この結果は、ただラッキーだっただけなのか、「明らかな“政策の失敗”を、何が補ったのか見極めるのは難しい」という海外の見方は自然だ。それに加え、PCR検査数の少なさについては「やらなかったのではなく、できなかった」ということで、「第一波を凌げたのは、ほんとに幸運だった」という見立ても自然だ。
安倍さんは、日本の「実力」だと、胸を張るが、このウィルスについては、まだまだ不可解なことが多い。夏に向かう「季節的要因」が幸いしたという説も捨てがたい。日本人の「我慢強さ」だけが感染拡大を防いだと結論付けるのも、まだ時間がかかりそうだ。
今回も、気になるのは安倍さんの言葉だが、この人はどうして「大袈裟」で誇張した言葉を好むのだろう。第二次支援策の予算について、「世界最大の対策」とか「空前絶後の規模」とか・・中身を検証すると、決してこんな言葉にはならないのだが。スピード重視と言いながら、いまだに支援を受け取れない人々は、恐らくウンザリしたのではないか。
彼の自前なのか、官僚の代筆なのか判らないが、この人は、ともかく「しっかり」「丁寧」「謙虚」「真摯」といった言葉が好きだ。しかし、実体が伴わないから、心に響かない。会見の受け答えでも、「言いはぐらかし」が多く、そうしているうちに話が別のところに飛ぶ。それは言質をとられまいとする慎重さというよりは、言うべき中身が乏しいのではないかと思う。
我慢強い国民にも限度はある。まずは、皆ほっとしたのではないか。私もほっとしたが、しかし、ほんとの安心は、もう少し、先にあるのではないか?
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COVID−19

コロナといえば、かつては日産のブルーバードと並ぶ、トヨタの代表的なモデル名だったが、この名がトヨタのラインナップから消えて既に久しい。皆が “忌み嫌う” 呼び名として、今、再来したことに、トヨタの思いは、恐らく複雑なものに違いない。新型コロナウィルス、正式にはCOVID−19という。(COrona VIrus Disease-発症年2019 の略)
この感染拡大により、多くの芸術、芸能、スポーツイベントが、多大な制約を受けることになった。感染防止を理由に、これらは「不要不急」の分野と判断されたわけだが、これにより職を失うことになった人々の嘆きは重い。私も同情はするのだが・・自身どこかに冷めた気分があることも否定できない。とりわけ、テレビのバラエティ番組と称する「お笑い芸人」について、私の“評価”は厳しい。かつて永六輔がその著書『芸人その世界』(1969年 文芸春秋社刊)で、述べている。
(後ろめたさ、肩身のせまさは) 芸人の素姓、芸能の歴史とは切り離せないもので、日本ではあらゆる芸人が「肩身のせまさ」を克服するために修行を重ね、その結果の芸を伝えて来た。今日のテレビタレントも、この後ろめたい歴史を「認識」すべきだし、それを支えてきた人達の貧しさと怒りを受け止めなければならない。
芸の修行と上達だけにすべてを賭けて、「人並みの生活」に這い上がり、「河原乞食」から人間国宝と呼ばれるようになったのである。・・と。
著者もまだ若く、テレビタレントに対する評価は手厳しい。
あれから50年。テレビの世界も変わったが、SNSとの競合から、若者のテレビ離れが言われ、骨のある番組も少なくなった。いわゆる「バラエティもの」で穴埋めするために、「お笑い芸人」の出番も多くなっていた。それに浮かれていた矢先の「コロナ」だ。すべてが画像処理の発達で「どうにでもなる」のをいいことに、「ここはカットしておいて」と平気で言う今のタレントに、永六輔は何を語るだろうか。中には傍若無人に振る舞う目に余るタレントも多い。何もない「平時」だからこそ、彼らの「居場所」もあったのだろう。しかし、ひとたび「不要不急」と言われて、果たして彼らに「返す言葉」はあるのだろうか。こういう困難のあることを「認識」して、こういう今だからこそ、申し訳ないが、つまらない「お笑いタレント」が多い中、骨のあるタレントには、是非とも「芸」を磨いて「這い上がって」ほしい。
高校野球も、夏の甲子園の中止が決まった。球児たちの落胆も判るのだが、一部の資金力のある私立校が、全国から選手を集め、もはや、かつての故郷の代表が集う大会とは言えなくなったイベントに、やはり、私の気持ちのどこかに冷めた部分がある。極め付けは東京オリンピックだ。緊急事態宣言が解除されたとしても、ワクチンや治療薬が間に合って、世界中の来客を、果たして迎え入れることが出来るのか?予断を許さない。延期でどれほどの損害が発生するか、ましてや中止となれば、その損失は計り知れない。オリンピック「返上論」?など「非国民」呼ばわりされそうだが・・。首都東京の礎(いしずえ)となった前回の東京オリンピックの体験を、無論、若い人にも味わってもらいたい気持ちはあるのだが。「アスリート・ファースト」なのか「経済・景気ファースト」なのか。過疎化で寂(さび)れ行く地方をよそに、「東京一極集中」をこれ以上進めてどうするのかという思いはある。ここにもやはり、私の気持ちのどこかに冷めた部分がある。

COVID−19で、これまで見えなかった様々なことが顕在化した。同じ全国の知事にも、やり手の知事と凡庸な知事の差も明らかになった。有事にあたって、国の権力者の「信頼」やリーダーシップの有無も明らかになった。
私も歳をとった。以前よりも「好き嫌い」が極端になったかも知れない。これも「顕在化」したということだろうか。やがて「老害」と言われるのは寂しいが、コロナ後の世界がどう変わるのか、或いは変わらないのか。批判する精神は持ちつつも、最後は「若い力」を信じながら、それを前向きに受け入れるしかない。

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かも知れない

コロナ疲れ、自粛疲れ。上場企業の倒産も出始めて、経済の疲弊も想像を超えた領域に入りつつある。 「緊急事態宣言」の解除をめぐり、様々な「見立て」や「思惑」が交差している。

きょう17日は、以前、ここでも書いた庚申塚の、庚申(かのえ さる)の日だという。そのことを知ってか、いつもの散歩コースの「お堂」に、深々と頭を下げて手を合わせる老人を見つけた。私もコロナの収束を願って手を合わせる。
ここで気を緩めることは、海外での感染の動き、とりわけ途上国での爆発的感染や、ウィルスの変異などによる、第二波・第三波の可能性と、どうバランスをとるか。判断の難しいところではある。海外との交流再開を前提とするならば、「自粛」で求められた新たな生活や仕事の「ルール」が、これからはこれが「常識」となり、コロナ後の世の中を変えることになるのかも知れない。
今、テレビの画面に見える景色は、Social Distance を意識した「異様な」光景である。しかし、これからはオンラインによるリモート参加型の番組作りが当たり前になり、そこから次世代の新たな番組も出現するのかも知れない。仕事も、オンラインによる在宅型勤務が進化すれば、高い家賃の都心のオフィスビルの必要性や、満員電車や東京一極集中も見直されて、若い人が地方に回帰する「地方活性化」の可能性も生まれるかも知れない。
今回の自粛で、大都市の空気が浄化されて、地球温暖化に歯止めがかかったという話もある。この流れを加速する、中国やヨーロッパでの「電気自動車」優遇措置は、原油が値下がりしているにもかかわらず、世界的な自動車の販売不振の中で、電気自動車だけは売り上げを伸ばしているのだ。飛行機の減便も、地球環境の観点からすれば、これも定着するのかも知れない。
様々な試行錯誤で、オンラインによる「置き換え」が可能と判れば、これが新たな時代、新たなビジネス変化への契機となるかも知れない。自動車メーカーに勤めた者として、自分が生きているうちは、今の自動車の時代は「変わらない」と思っていたが、あと10年。このコロナ禍を経て、自動車を含めた時代の変化は、思いのほか早く訪れるのかも知れない。

いずれも「かも知れない」だが・・大山鳴動してネズミ一匹となるか、あるいは、世界的な価値観の変化へとつながって行くのか? 明らかになるには、まだ少し時間がかかりそうだ。
今の自分にできることと言えば、庚申塚に足を止めて、世の中の安寧を祈る、それくらいのことしかないのだが。
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アビガン小僧

我が家の2階のトイレの壁には、滝平二郎の「切り絵」を配した、一枚もののカレンダーが貼ってある。切り絵は、幼い姉と弟を題材に、四季折々の郷愁を描いた図柄が気に入って、毎年このカレンダーを貼っている。幼い姉と弟の「年恰好」が、いかにも私の二人の孫を見るようで、微笑ましいのだ。
「緊急事態宣言」で、しばらく顔を見せなかった孫たちが、久しぶりにやって来た。娘の話によれば、年寄りに「うつす」か「うつされる」か? いづれにしても、「自粛」していたのだと言う。少し寂しい思いをしていたカミさんは大喜びで、我が家の久しぶりの「子供食堂」が始まる。「コロナだから、気をつけないとね」と言うと、下の孫(小学二年)は、「大丈夫だよ。もうじきアビガンが出来るから。」と言うので、皆で大笑い。近頃の子供は、どこで知るのか、しっかりしていると言うか、「耳年増」である。
滝平二郎の切り絵は、姉が母親に髪の手入れをしてもらい、横で弟が、何やら不満そうな顔で何かを訴えている。成長した下の孫を、私は「アビガン小僧」と名付けたが、この表情は、いかにもヤンチャな「アビガン小僧」である。

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新型コロナ「パンデミック」 考

4月も、もう20日。相変わらず、時間が経つのが速いと感じるのだが、コロナ コロナで日が暮れるこの4月は、何かが違う。外出「自粛」で、家の中に居ることが多くなったからだろう、暮らしにメリハリが無くなったことで、よほど意識しないと「曜日の感覚」が薄れてきたように思う。一日おきにスポーツジムに通っていた時は、そのことで曜日を意識できた。毎日のニュースもコロナ一色で、ほんとうはもっと報道されるべき重大なニュースもあるはずなのだが、連日、感染の状況と、その死者の数である。気が重くなる。
年の初め『謹賀新年』で、「東京オリンピック」を2度経験するわれわれは、恵まれた世代なのかも知れない、と書いた。いろいろと問題の多い東京オリンピックだが、少なくとも、オリンピックが開催できる環境というのは、とりあえずは、戦争のない「平和な時代」ではあるのだろう、とも書いた。何か遠い昔?のような気もするが、今やオリンピックも開けないこの「環境」は、目に見えない難しい敵と闘う、決して平和とは言えない「戦時下」の時代なのかも知れない。
「パンデミック」と称する世界的な感染症として、百年前の「スペイン風邪」が引き合いに出されるが、体験しない我々には、その恐ろしさは記録の上でしか判らない。近くはSARSやMERSがあるが、この時の経験を生かして、今回のコロナに上手に対応した国がある一方、日本は、大きな被害を経験しなかったこともあって、当初、安易に考えていたことは否定できない。そして医療体制が、我々の想像以上に「貧弱」であることも明らかになった。歴史学者 磯田道史が、人類と感染症との歴史から得られる、対策の知恵を述べている。(文藝春秋5月号) これに照らしてみても、日本の対応はいかにも遅く、諸外国に比べても「詰め」の甘さが目立つ。要は、政権に対する「信頼」だと思うのだが・・突然の「学校閉鎖」とか、その根拠や説明が十分でないままに決めて混乱を招く。権力者だから決断することは必要なのだが、権力を行使する者は、皆が「そうだよな、そうすべきだよな」と共感するような「話し方」をしなければいけない。しかしこれまでの経緯を見ていると、強い政策を打ち出すには責任を伴うが、要請とか「お願い」と言っていれば、「決めたのは貴方たちでしょ」と言って逃げられる、そういう「逃げ道」を作っていると思われても仕方がない状況がある。そして「話し方」だが、安倍さんという人は、プロンプターを上手に見ながら?多弁に流暢に話しているように見えても、どういうわけか言葉が胸に刺さって来ない、上滑りというか、心に響かないのだ。どうしてだろうと思うのだが、あれだけ、一所懸命語りながら、国民にいろいろお願いをしながら、なかなか伝わって来ない、不思議な人だ。それは「自分の言葉」で語っていないから、今ひとつ「人間味」が薄いと思わせる・・ 哀しいことでもある。

休校が長引いて、年端の行かない子供たちが可哀想だ。小学一年の孫までが、意味も判らず?「ジシュク」などと口にする。休校のこの時期、どう過ごすかで、出来る子と出来ない子の差が広がるのだろう。何の罪もないこの子たちにとって、10年後、「コロナ」の記憶はどう脳裏に刻まれているのだろう。

新型コロナは感染力が強く、症状を自覚しないまま他にも感染する。しかし一旦容体が急変し重症化すると、死に至るまでの時間は短い。何とも厄介な、手強いウィルスであることが判って来た。自覚しない感染者(これが不安の元凶)を隔離し、如何に「医療崩壊」を招かずに重症患者を治療できるか。若い人の感染や、地方への広がり、死亡者の数など、予断を許さない。「要請」と「自粛」という日本独自?のやり方が、果たしてどういう結末を見るのか、世界中が注目している。日本人の「BCG接種率」とか、生活習慣の優位性を指摘する向きもある。まだまだ判らないことが多く、ワクチンと治療薬の援軍があるまで、オーバーシュートを起こさず持ちこたえられるのかどうか、「日本の奇跡」を信じたいところだが。

いつまで続き、どう収束するのか判らないが、いずれ、急速に進んだ「グローバル化」の功罪や、「中国」に頼り過ぎた物流経済の反省についても、議論されるに違いない。しかし、これを「文明と歴史」という観点から、一歩引いて見れば、国境を超えたヒトとウィルスとの戦い〜それは、時に世界中に蔓延して、文明を破壊するほどの犠牲者を出すということであれば、やがて、大国同士が軍拡競争に鎬(しのぎ)を削り、ムダ金を使う人類の「愚かさ」を、幸いにもウィルスが警鐘を鳴らしてくれるのかも知れない。そういう時代が来ることを願いたいが、せめて、今は「自粛の時」だとしても、この時期を何か「創造的な時間」に出来ないものか。かつてペストが蔓延した時代、ニュートンは自粛した18ケ月の間に、自ら研究を重ねて、あの「万有引力の法則」を発見したという。それほど偉大なことではなくとも、この「試練」を未来に繋ぐために、ただ漫然と嘆くだけではなく、空白の時間を「不幸な空白」にしないで、未来の幸福に繋がること。日頃やれないこと、日常が停止した今だからやれることを、子供たちに教える一方、我ら高齢者が、残り少ない人生だからこそ、自分の中にまだ残された「可能性」を開拓する。そういう気概を持つこともまた、『日々是好日』であろうか。

古来、パンデミックは世の中を破壊すると同時に、世の中を変えて来た歴史でもある。
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取り越し苦労

去年の今頃は、新たな年号の発表を前に、卒業、入学、入社式と、新しい時代を迎える、何か「晴れやかさ」があったような気がするが・・一年後の、この新型コロナにまつわる世相の様変わりを、一体誰が予想しただろうか。
感染防止のため、セレモニーも続々と中止になっているが、われわれ団塊世代の経験した入学、卒業式といえば、大学紛争が真っ盛りで、入学式も卒業式も、まともに祝ってもらったという記憶はない。ともかく、新型コロナは「他人との距離をとれ」「5人以上は集まるな」「外出を8割減らせ」というのだが。 人と人とが交わることで「仕事」が生まれ、「学問」や「社会」が成立する。その基盤が崩れようとしているのだが、IT社会がどう機能するか、そのことも試されている。折しも、学園紛争のあの時代、東大全共闘と作家・三島由紀夫が繰り広げた討論会のドキュメンタリー映画が、今、話題を集めている。SNSなどでは、立場が違うとみるや相手を敵視し、汚い言葉で罵倒する書き込みが当たり前になった。相手の前に堂々と出て、名前を名乗って、互いの熱い心を感じる場で対話する、「言葉」というものが生きていて、機能していた時代。そのことが見直されているとすれば、興味深い。

さて、日本の「コロナ対策」だが、専門家会議や医師会の代表が、「オーバーシュートになる前に、医療崩壊に陥る可能性がある。“緊急事態宣言”を早く検討してほしい」と言っているのに、また都知事からも「宣言を待って、その準備を進めている」と急かされても、何故か政府の対応が遅い。マスク二枚を、全世帯に配布するというのだが、どこかズレている。アベノミクスならぬ「アベノマスク」とか、「安倍さんの世帯は、二枚でいいかも知れないが」など、ネット上では格好のネタになっている。マスクの配布は有難いのだが、なぜ今頃なのか。あまりにも遅い。
政府の(或いは安倍さんの)対応が、どうして煮え切らないのか。おそらく、私は、その結果の「責任」を取りたくないのだと思う。
“緊急事態宣言”で社会が混乱し、経済が逼迫すれば、せっかく勝ち取った「オリンピックの一年延期」も怪しくなる。残された任期を考えれば、安倍さんは「歴代最長」以外に何かレガシーを残したいと考えているのは間違いない。「拉致問題」や「北方領土問題」、「憲法改正」も怪しくなって来た。虎の子の「オリンピック開催」や「アベノミクス」「消費税」までが、おかしなことになることは、絶対避けなければならないのだ。もともと「安倍さんのレガシー」など、私は殆ど興味はないのだが、無論そのレベルで、コロナ・ウィルスが収束してくれれば「儲けもの」だし、それに越したことはない。しかし、見えない敵との闘いに、これは、もはや戦争であり、各国の首脳は、自らを「戦時中の指導者」と言って憚らない。ここは安倍さんに、「私を信じて、どうか私に付いて来てほしい」という覚悟(リーダーシップ)があるかどうか。これまで、二度も三度も内閣が倒れてもおかしくなかった事態に、決して「説明責任」を果たすことのなかった「信なくば立たず」の彼に、その資格があるのかどうか。
この非常時に、代わるべき人材が居ないとすれば、不本意ながら、安倍さんにやってもらうしかない。幸いにもそれが「取り越し苦労」だったと言える日が、いつか来ることを、祈るのみである。
政治 | permalink | comments(0) | -

いつまで続く

新型コロナ・ウィルスの影響は、いつまで続くのか。
遊びも制限されて、時間を持て余す休校中の子供たちもストレスが溜まるが、不要不急の外出を控える「年寄り」もまたストレスが溜まる。 カミさんなども、スポーツ・ジムでのオバチャン同士の交流が楽しみの一つなのだが、今やジムも“開店休業”状態。たまりかねて、庭の手入れや家事、散歩のウォーキングに励んでいる。私と違って、カミさんは何もしないで、じっとしていられれないタチで、何かやっていないと気が休まらない?そこは亡くなった私の母と似たところがある。その点じっとしていることをあまり苦としない私だが、さすがに、ジムに休会届けを出した今月は、運動不足が気になって、近所の散歩を心がけている。チェックはしていないが、65キロをベストとしていた体重も、おそらく4キロくらいはオーバーしているのではないか。

歩いてみると、近所のことは意外と知らないもので、結構、新しい発見があるものだ。
まずクルマだが、どうしても、ガレージに収まっているホンダ車が目にとまる。これでホンダのシェアも見当がつくが、国内のマーケットは軽自動車が中心と思っていたところ、メルセデスやBMW、アウディといった高級ドイツ車が意外と多い。庭もない小ぶりの新築住宅に、これが意外と多いのだ。若い人が、クルマに贅沢を求めているということなのか。BMWのミニや、フィアット500も見つけた。フィアットに至っては、日本の軽自動車のほうが、遥かにコストパフォーマンスがあると思うのだが・・。どんな背景があるのか。昔を思い出して、ユーザーインタビューをしてみたくなった。しかし、今は運動不足の解消が目的。
セブンイレブンを過ぎて、少し横道に入ったところに小さな「お堂」がある。説明書きによれば、昔からの「庚申信仰」だという。庚申とは甲乙丙丁・・の「十干」と、子丑寅卯・・の「十二支」との60種の組み合わせが日付や年号に使われて、「庚申の日」も60日間隔でやって来る。元々中国の道教の習わしで、庚申の日の夜、眠っている間に、体内の「虫」が身体から抜け出し、その人の悪事が天帝に伝えられて「寿命」が縮められるとの教えがあったらしい。そこで、この日は眠らずに、寄り合って宴会を催したという「庚申講」の名残りとのこと。今や残存する庚申塔の多くは、明治期の開発による破壊を免れたもので、関東地方に多くあり、今でも道の交差している場所や村落の入口などに、「庚申」と彫られた石碑が見られるという。

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草加も宿場町として歴史ある街だが、今も、こうした庶民の生活の「いぶき」が感じられるのは、嬉しいことだ。
ここは、コロナの終息を祈って、願い事がよく叶うという
「庚申さま」に、手を合わせるとしようか。
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樹木葬

時代の変化で、葬式やお墓に対する考え方も、ずいぶん変わって来たような気がする。私の周囲でも、葬式は“家族葬”でいいと言う仲間が増えて来た。会社や仕事の繋がり、或いは世間体ということにも、こだわりが無くなってきたのかも知れない。「“家”を守る」という意識で、親の死を弔う世代は、もしかしたら我々が最後の世代で、我々自身は、家族がいなかったり、或いは子供はいても、子供には負担をかけない(かけたくない)という考えが主流になって行くのだろうか。

そんな中、様々な人間模様を伝える『ドキュメント72時間』〜 恒例の視聴者による年間人気投票で、昨年は「樹木葬 桜の下のあなたへ」が4位に選ばれた。事情はそれぞれだが、お墓に対する「いまどき」の考え方を反映して、とても印象に残る番組となった。
私自身、孫たちが「気の向いた」時、いつでも来られるような近場で、桜の樹の場所であれば、これもアリかなぁと、思ったりしている。
あとは、足の丈夫なうちに故郷を訪ね、ファミリー・ヒストリーをまとめ上げて、これもやはり、孫たちに残す。
『日々是好日』。当面の、これも私のささやかな「終活」である。

『樹木葬』は、
https://photos.app.goo.gl/CMRomLhZAkTUjm6GA
で、 Google フォト「おりおりの言葉」に移動して、
そのアルバムから、このタイトルを選ぶことで見られます。
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季節 | permalink | comments(0) | -

虫のいろいろ

昭和の戦後期を代表する私小説(あるいは心境小説ともいう)の作家として知られる、尾崎一雄に『虫のいろいろ』という小品がある。若い頃に読んだ、わずか10ページほどの作品だが、多少大げさに言えば、私の日頃「思うところ」に少なからず影響を与えた文章で、この歳になって、また改めて、それを読み返してみる今日この頃なのだが。
尾崎一雄の50歳頃に書かれたもので、病床にありながら、それまでの人生をかえりみるとともに、それは作者の心境の、一つのピークをなすものとされている。蜘蛛、蚤、蜂、蠅、そうした「虫けら」のそれぞれ違った習性に着目し、それらが一様に持っている「生きようとする懸命な努力」を発見して、それとは対照的に、“時間と空間” から脱出しようとする人間の努力。絶対的な神にも、ワラにでもすがろうとする努力。これほど切実で物悲しいものがあろうか、と。しかし、諦めきれぬ人間が、これまで営々として積み上げて来た “空中楼閣” (観念の楼閣)の、何と壮大なことだろう、と。そして、人間の、いや私の「自由」とは、何ものかの筋書によるものなのか。それとも、単に偶然によるものなのか。ただはっきりしているのは、いずれそのうち、“死との二人三脚” も終わるという、「謙遜と諦念」の心境に作者は達しているかのように見える。跳べるのに “跳べない“ と思い込まされている「蚤」と、飛べないはずなのに “飛べる” ことを疑わない「蜂」との間で、自分の人生の席次は、どの辺りに位置しているのか。誰もが一度は考えることかも知れないが、50歳の尾崎の心境に、70を超えた自分も辿りついた気がする。

世の中は今、新型コロナ・ウィルスの話で持ち切りだが、オリンピックを控えて、その顛末は誰にも想像がつかない。このカタストロフィに、日本独自のリスク〜大震災が仮に再び繰り返されたら、まさに目も当てられないが・・(3.11の記憶と、このところ各地に頻発する小さな地震が気になるのだが) コロナも、あの大震災も、何ものかの「筋書」によるものなのか。すべては、ただの「偶然」によるものなのか。私も、人智の及ばない絶対的な存在・・「神」という言葉が脳裏に浮かんで、
今、そのことも、少し考えている。
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おりおりの言葉 (抄)
  »『大事なこと』(Jul.2015)
  »『一枚の写真から』(Jun.2015)
  »『K君からの手紙』(Feb.2015)
  »『2013 墓碑銘』(Dec.2013)
  »『難しい時代』(Dec.2013)
  »『ターナー展』(Dec.2013)
  »『3年が経過して』(Nov.2013)
  »『年寄りの道楽?』(Nov.2013)
  »『古文書(こもんじょ)の息づかい』(Oct.2013)
  »『絶妙なインターバルに・・』(Sep.2013)
  »『9年目のイチロー』(Aug.2013)
  »『本田さんのこと』(Aug.2013)
  »『7月の終わりに』(Jul.2013)
  »『オノマトペ』(Jul.2013)
  »『吉と出るか、凶と出るか』(Jul.2013)
  »『Stay hungry,Stay foolish』(Jun.2013)
  »『最近、戸惑うこと』(May.2013)
  »『弘前の桜』(May.2013)
  »『春のミステリー』(Apr.2013)
  »『3分の2』(Mar.2013)
  »『遅れた新年会〜散りゆく桜』(Mar.2013)
  »『春を待つ』(Mar.2013)
  »『似て非なる』(Mar.2013)
  »『N(エヌ)ッコロ』(Jan.2013)
  »『おりおりの言葉 次(Jan.2013)
  »『2012 墓碑銘』(Dec.2012)
  »『流行語大賞』(Dec.2012)
  »『原風景』(Dec.2012)
  »『Fly me to the moon.』(Oct.2012)
  »『座右の銘』(Sep.2012)
  »『なにぬね・・のりか』(Aug.2012)
  »『おやじのせなか/石原慎太郎』(Aug.2012)
  »『ブラタモリ』(Jul.2012)
  »『6月という月』(Jun.2012)
  »『「ぬきさしならない」この時代に』(May.2012)
  »『金環日食』(May.2012)
  »『今年の大河は、』(Apr.2012)
  »『一期一会』(Mar.2012)
  »『嗚呼(ああ)「同級生」』(Feb.2012)
  »『二つの悲しみ』(Jan.2012)
  »『仕事納め』(Dec.2011)
  »『愛犬ラブ』(Dec.2011)
  »『さようなら』(Nov.2011)
  »『神の手帳』(Oct.2011)
  »『天災、「人災」』(Sep.2011)
  »『夏の終わりに』(Aug.2011)
  »『ゲン担ぎ』(Aug.2011)
  »『誰か、いい感じに・・』(Jul.2011)
  »『63歳、若葉マーク』(Jun.2011)
  »『母の通信簿』(May.2011)
  »『重なる不幸に、』(Mar.2011)
  »『クライストチャーチ、運・不運』(Mar.2011)
  »『断・捨・離』(Feb.2011)
  »『ゆく年くる年に』(Jan.2011)
  »『12月のうた』(Dec.2010)
  »『帝国の崩壊』(Dec.2010)
  »『今、丸の内オフィス街で』(Oct.2010)
  »『炎暑延々』(Aug.2010)
  »『美しい日本語』(Aug.2010)
  »『魔の2歳』(Jul.2010)
  »『出口を求めて』(Jun.2010)
  »『父の贈り物』(May.2010)
  »『上から目線』(Apr.2010)
  »『昇りつめた龍は・・』(Feb.2010)
  »『ゴボゴボペ〜二月の寒い日に』(Feb.2010)
  »『年の瀬に思うこと』(Dec.2009)
  »『11月の詩(うた)』(Nov.2009)
  »『ラジオと私』(Aug.2009)
  »『宇宙と星』(Jul.2009)
  »『こまめに水分を』(Jul.2009)
  »『手紙』(Apr.2009)
  »『08年 デジタルとアナログ』
  
»『老兵は死なず』(Nov.2008)
  »『秋田に学べ』(Aug.2008)
  »『犬たちよ』(Jan.2008)
  »『生きている間に』(Jan.2009)
  »『愛車』(Oct.2007)
  »『贈る言葉〜娘の嫁ぐ日に』
  »『梅の香の季節に』(Mar.2008)
  »『広辞苑 第六版』(Feb.2007)
  »『吹かずとも』(Apr.2006)